今回、EDUCOのアスリートサポーター第2号に就任していただいたのは、元・世界陸上日本代表であり、高校生時代からいきなり全国の舞台で輝きを放った絹川愛さん。就任いただくにあたり、スペシャルインタビューとして絹川さんの「走り」に対する思いやEDUCO「zero-gra」との出会いなど様々語っていただきました。インタビューでは、これまでの歩みだけでなく、「なぜ今ふたたび走るのか」「10年スパンででとらえた”走り”に対する変化」、そしてこれから——
前編、後編含め語りつくしていただきましたので是非ご一読ください。

◇イントロダクション:「もう走らない」そう思ってた。でも、ふと走ってみたら…
世界陸上に高校生で出場し、日本一になり、注目を浴びた10代。
でもそのあと、陸上からパタッと離れて、もう二度と戻らないと思っていました。
実際、10年間、まったく走ってなかったんです。
その間は、全然ちがう世界にいました。コスプレをしたり、人と作品を作ったり。
「誰かと一緒に表現する」ことの楽しさや、「私は主役じゃなくてもいい」と感じられる喜びを知りました。
それは、かつて一人で走っていた頃の自分とはまるで別物。
でも、あの時間があったからこそ、今「もう一度走ってみよう」と思えたんです。
◆第一章:「足速いなら、陸上やったら?」──はじまりはただそれだけ
私、小さい頃からたまたま足が速かっただけで、特に「陸上をやりたくて始めた」わけじゃなかったんです。
だから、陸上クラブに入ったのも「じゃあ速いなら、やってみれば?」みたいな感じ。
当時の陸上って短距離がメインだったし、私もずっと短距離ばかりやってました。
でも中学生になって周りがみんな成長してくると…全然勝てなくなっちゃった。
身長もあんまり伸びなかったし、小学生の頃の“速かった”が通用しなくなってきて。
で、先生に「もう短距離は厳しいから、長距離に出てみなよ」って言われて、消去法で出てみたんです。
そしたら――全国2位になっちゃった。
「あれ?なんか…できちゃったな」って感じで。
頑張った記憶はあんまりないんですよね。走ってたら、結果が出た。

◆第二章:ダンスやバイトじゃなくて、「世界」って言われたから走った
高校では、正直「陸上やめようかな」って思ってたんです。
私、ダンスやってみたかったし、バイトしたかったし、普通の女子高生になろうと思ってた。でも、仙台育英高校の渡辺監督に言われたんです。
「ダンスは誰でもできる。でも、長距離で世界に行けるのは絹川しかいない。絶対に俺が世界に連れていってやる」
そのひと言を聞いたとき、高校1年生の私は「世界?」って思って、目が覚めたんですよね。
みんなができないことなら、やってみようかなって。
◆第三章:結果は出る。でも、心が置いてけぼりだった
高校ではインターハイ3位、世界クロスカントリー代表。
高校3年生で1万メートルに出たら、世界陸上の標準記録をいきなり突破。
そのまま大阪大会で高校生として日本代表に。
…でも、今振り返ると、心は置いてけぼりだったと思います。
結果は出てる。褒められる。
でも「自分がどうしたいか」は、わかってなかった。
みんなが喜んでくれるから、私も頑張る。
そんな「誰か起点の努力」を、ずっと続けてた10代でした。
◆第四章:「走らない時間」が教えてくれたこと

24歳で引退してから、私はまったく陸上に触れてませんでした。
そして、それを“後悔”したことも、ほとんどなかった。
代わりに、コスプレをしたり、作品づくりの現場にいたり、全然違う世界を見ていました。
あの世界では、「自分ひとりで頑張る」じゃなくて、誰かと一緒に何かをつくることが当たり前で。
私はその空気がすごく好きだった。
「あ、この感覚、陸上やってたときにはなかったな」って。
その10年間が、今の「誰かのサポートをしたい」っていう気持ちにつながってるんです。
主役じゃなくていい。今は、誰かと一緒に楽しみたい。創りたい・・・。
🔹次回・後編では…
▶︎ 久々に走ってわかった「体が覚えてる」感覚
▶︎ 自分のストライド・設置・フォームを“言葉にして伝える”楽しさ
▶︎ EDUCOとの出会いと、「引き出す存在」になりたい理由
▶︎ そして、絹川愛が思う「これからの10年」のこと